「死」(アルツィバーシェフ)

彼は生の喜びを再認識するのです

「死」(アルツィバーシェフ/森鷗外訳)
(「百年文庫056 祈」)ポプラ社

「百年文庫056 祈」ポプラ社

医学士ソロドフニコフは
散歩の途中、退屈まぎれに
顔見知りの見習士官
ゴロロボフの家に立ち寄る。
すぐに立ち去るつもりだった
医学士に、自分はいつも
「死」について考えていると
見習士官は切り出す。
どうやら彼は
自殺する気らしい…。

ソロドフニコフは散歩の途中の
単なる挨拶のつもりで
ゴロロボフに声をかけたのですが、
彼は馬鹿丁寧に対応し、
家に招き入れたのです。
気まずい空気が流れる中、
彼が話し始めたのは「死」について。
それを聞いている
ソロドフニコフの心情は、
次第に恐怖に支配されていきます。

「不愉快になって、
 立って帰ろうかと思った」
「不愉快の感じは
 一層強くなって来た」
「室内の空気が稠厚になって来て、
 頭痛のし出すのを感じた」
「なんだか心持ちの悪い、
 冷たい物を背中に浴びたようで、
 両方の膝が顫えて来た」
「聞いていて胸が悪くなった。
 両脚が顫える。頭が痛む。
 なんだか抑圧せられるような、
 腹の立つような、重くろしい、
 恐ろしい気がする。」

ソロドフニコフの心理描写を
抜き出してみました。

今日のオススメ!

描かれている二人の会話はまるで
禅問答のようにも思えるのですが、
ゴロロボフの話す
「死」についての論理は、
着実にソロドフニコフの
精神を侵していきます。
背筋の寒くなる
ホラー小説のような展開ですが、
そこに超常現象のようなものは
何もありません。
ゴロロボフの論理が、
ソロドフニコフに「死の瀬戸際」を
垣間見させているのです。

恐怖覚めやらぬまま
自宅に戻ったソロドフニコフを、
警察官が訪問します。
ゴロロボフの検死の要請です。
さらなる恐怖が
待ち受けているのかと思うと…。

彼は生の喜びを再認識するのです。
「何がなんでも好い。
 恐怖、憂慮、悪意、なんでも好い。
 それが己の中で発動すれば好い。
 そうすれば己というものの
 存在が認められる。
 己は存在する。
 歩く。考える。見る。感ずる。
 何をということは敢て問わない。
 少くも己は死んではいない。
 どうせ一度は死ななくては
 ならないのだけれど。」

死の恐怖を感じることが
確かに存在している自己の証明になる。
単純なことでありながら、普段私たちが
見逃していることでもあります。
死ぬことの対局に
生きることがある以上、
「死」を考えることは
「生きる」ことに繋がるのです。
ゴロロボフは残念ながら
そうではありませんでしたが。

近代化の中で「真実とは何か」
「生と死とは」を考え続け、
答えが出ぬまま生涯を終えた
ロシアの作家アルツィバーシェフ
彼が生前抱えていた命題が、
そのまま結晶化したような本作品、
一読の価値があります。

〔本書収録作品〕
春雪 久生十蘭
城の人々 チャペック
 アルツィバーシェフ

(2019.9.4)

Karin HenselerによるPixabayからの画像

【青空文庫】
「死」(アルツィバーシェフ/森鷗外訳)
※森林太郎訳となっています。

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